|
|
|
|
|
|
| 家族会結成の会見 |
平成9年(1997年)3月25日 |
| 横田めぐみさんの拉致が明らかになったのを機に、実名を出して世論に訴えるという苦渋の決断をして、横田、地村、浜本、蓮池、奥土、市川、増元、有本、原の9家族により家族会(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)が結成された。原敕晃さん拉致で逮捕された犯人が拉致を自白してから約20年が経過していた。その後、松木、田口、寺越、そして曽我の各家族が加わり現在に至る。その家族会を支援するため各地に組織が生まれ、「救う会」全国協議会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)として家族会と車の両輪のごとく一体となって既に約10年間も国民運動を展開してきた。 |
|
|
 |
| 米支援反対座り込み |
平成12年(2000年)3月6日 |
平成12年3月と10月、日本政府は合計60万トンの米を北朝鮮に「人道支援」した。家族会・救う会は、拉致問題の進展が一切ない中で大量の
米支援を実施すれば、金正日政権に対し日本が拉致問題を重視していないというメッセージになってしまうという危機感から、2度の支
援が決まる直前に外務省と自民党前で座り込みを実施して抗議した。 |
|
|
 |
| 第1回訪米 |
平成13年(2001年)2月25日〜3月3日 |
| 「拉致自体が存在しない」という姿勢を変えない北朝鮮に対し、「拉致問題は現在進行形のテロで、国際社会が連携して戦うべき」と、ブッシュ新政権、米国民、国連などに訴えるため、60代、70代の家族7名と救う会4名が初訪米。ワシントンとニューヨークで要請、懇談、会見など25のイベントをこなすハードスケジュール。ライス大統領補佐官(当時)とも議員会館廊下で出会い、資料を渡した。写真は、協力を約束してくれた柳井駐米大使(後列左から3人目)とともに在ワシントン日本大使館にて(2002年2月28日)。家族会・救う会は、この訪米に続いて4月にジュネーブの国連人権委員会、国際赤十字を訪問したのをはじめ、その後何度も訪米、訪欧、訪亜を重ねて国際連携を築いてきた。 |
|
|
 |
| 新「拉致議連」が発足 |
平成14年(2002年)4月25日 |
| 拉致被害者救出のために行動することを誓い合って平成14年4月25日、超党派の新「拉致議連」(北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟)が発足。以来、会長は石破茂、中川昭一そして現在の平沼赳夫の各氏に引き継がれてきたが、一貫して家族会への支援を継続し、また北朝鮮制裁2法成立に尽力。写真右は拉致議連総会に臨む役員(平成17年10月20日)。写真左は韓国、タイ、レバノンの拉致被害者家族と家族会・救う会を歓迎する平沼会長(前列中央、平成17年12月22日)。 |
|
 |
|
|
金賢姫様へ
前 略
突然の手紙をお許しください。 私は田ロ八重子の長男の耕一郎と申します。
私の母であると言われている李恩恵について、お話を聞かせていただきたくペンを取りました。
金さんにとっては、 もう思い出したくない話かもしれません。
しかし、 私には母親の思い出がまったくないのです。
母が北朝鮮に拉致されたのは、 私がまだ1年半のときでした。
母親の兄である飯塚繁雄に引き取られて25年、 母のことは写真と養父から聞く思い
出以外には何も知らずに生きてきました。
それまで、 記憶にない母に対する感情は正直言って曖昧なものでしかありませんでした。
抱いてもらった思い出も、 叱られた思い出も何もないので、 当然なのかもしれません。
2002年9月に、 母の死亡という報道を海外出張先で知りました。 そのとき心が張り裂けそうな衝撃に駆られました。 どうしょうもない虚無感に駆られ、 涙を流しました。
そのときの気持ちはいまだに自分の中で整理できていないのですが、 きっと自分の中に、 25年ものあいだ触れることができなかった母親に対する感情がない、 と知ったからだと思います。 私には、 実母の写真を見ても、どのような声で、 どのような笑顔をしていたのかまったくわからないのです。
そんな母に対してどんな感情を持てばいいのかわからないのです。 ですから、 金さんから母のことを聞いて、 一片でも母の面影を自分の心の中にじかに焼き付けたい。 私はまず、 このことから始めたいのです。
これから私が見るべき明日に向けて、そして未来の家族のためにも、空白になっている母の面影を少しでもつなぎ合わせていきたいのです。
お忙しい中、 このような手紙をご覧いただき、 ありがとうございました。
どうかご自愛ください。 また、 乱文失礼いたしました。
敬 具
飯塚 耕一郎 |
 |
平成16年2月23日、
飯塚耕一郎さん(写真右)が初めて会見し、金賢姫氏に面会を求める手紙を外務省の斎木昭隆審
議官に託した。写真左は、育ての親で田口八重子さんの兄、飯塚繁雄さん。 |
| 外務省は韓国政府を通してこの手紙を取り次ごうとしてくれました。 しかし、 韓国政府からは「本人が受け取りたくないと言っている」との回答がありましたが、「非公開でなら耕一郎さんたちに会いたい」という金賢姫氏のメッセージが伝わってきました。その後、金氏は外部との連絡を断ちます。耕一郎さんと金賢姫氏の面会実現に、関係者にはぜひ協力して頂きたいと願っています。 |
|
|
 |
| 制裁発動を強く求めて国民大行進 |
平成16年(2004年)4月30日 |
| 5人が帰国して1年半が経ち、その後の北朝鮮は「拉致問題はすでに解決した」などと開き直り、5人の家族を日本に帰さず、不誠実極まりない姿勢を続けていた。この日、東京・日比谷公園での第6回国民大集会に引き続いて首相官邸と国会へ向け、制裁を訴える国民大行進を実施した。 |
|
|
|
|
|
曽我 ひとみさん
平成17年5月12日、東京連続集会発言から要約
|
|
横田めぐみさんはすごく絵が上手で、一緒になって1か月くらいした頃、紙に鉛筆で手の形を描いてくれて。すごく上手で、私は日本に来るまでずっと大切にもってましたが、持ち帰れませんでした。歴史博物館とか革命博物館とか、いろんな博物館を一緒に観て回ったんですけど、めぐみさんは、美術博物館はもう一回行ってみたいなあと言ってました。招待所の中ですから、なかなか自由に外に出ていろんな所を見るっていうことができなくて。だから、一度外に出てそういうところを見る時は、面白くても面白くなくても、なんか開放感って言うんですかね。そういう時間が二人とも大好きでした。
朝、9時くらいから勉強を始めて。チュチェ思想等の勉強。それから日本との戦争の話がありましたけど、その時の英雄たちの活躍を紹介したような朝鮮語の本。そういう本をたくさん読んで、あなたたちもこういうふうにしなくちゃいけないんだよ、と教えられました。同じ招待所には、1か月とか3か月とか色々でした。その頃会ったのはめぐみさんだけです。時々思い出したり寂しくなったりすると童謡を歌いました。「ふるさと」も歌いました。双子の弟が本当にかわいくてたまらないって言っていました。 |
| 月や星を見ては佐渡を、日本を |
|
向こうにいた24年間の間にも、日本から代表団がいっぱい来ました。もちろん私が直接会ったわけでもないですけど、テレビではどこの党の人が来たとか、どこを訪問しましたとか。今度は何か良い知らせがあるかなあと思うんですが、しかし、ああまた何にも無かったんだ、と。日本のなかでどういう運動があるのか、私たちには全然分からないし。ただただ、日本の代表団に会って「一緒に連れて帰ってください」と言いたいと思ったことは何度もありました。だけど、そうすることもできず、この次は、この次はと、ずっと我慢してきました。
夜になれば日本でも北朝鮮でも空には月や星。見るといつも佐渡が頭の中に浮かびました。そしてそれと同時に、お母さんのこと。いつも夜、月を見ながらいつになったら日本に帰れるんだろう、誰か助けに来てくれる人はいないんだろうかと、いつもいつも思っていました。だからまだ日本に帰って来れない人たちのことを思うと、本当に心が痛みます。私の母もそうです。もう73です。皆様のお力で、みなが日本に帰ってきて、笑顔で生活できるようにお願いしたいと思います。 |
| 『告白』ジェンキンス著から |
|
横田めぐみさんと曽我ひとみさんは、拉致された当時、唯一の日本人の友達でした。ひとみさんの夫・ジェンキンスさんは『告白』の中で、ひとみさんから聞いた話として、「当時まだ15歳だっためぐみさんは、故郷のことをしきりに思い、泣いてばかりいた」と紹介しています。
曽我ひとみさん夫妻は、1985年か86年に、平壌の外貨ショップ楽園百貨店でめぐみさんに偶然出会っています。「めぐみさんはかがんで美花さん(当時2、3歳だった曽我さん夫妻の長女)をあやし始めた」と書いています。そして、美花さんをつれてクッキーを買いに行き、ひとみさんとめぐみさんを二人にしたことを次のように書いています。「二人にとってどれほど貴重で稀な機会であるか、私にはわかっていた」。それ以降、めぐみさんに会う機会もめぐみさんについて耳にする機会も一度もなかったとのことです。 |
|
故 郷
|
| 兎追いし かの山 |
如何にいます 父母 |
いつの日にか 帰らん |
| |
|
|
| 小鮒釣りし かの川 |
恙なしや 友がき |
志を はたして |
| |
|
|
| 夢は今も めぐりて |
雨に風に つけても |
山は青き 故郷 |
| |
|
|
| 忘れがたき 故郷 |
思い出ずる 故郷 |
水は清き 故郷 |
|
|
|
|
| 横田滋さん |
 |
第3回日朝実務者協議でめぐみのものとして提供された遺骨は、帝京大学がDNA鑑定した結果、12月8日、別人のものということが判明いたしました。我々は、この鑑定結果を伺いまして非常に安堵をいたしました。北朝鮮側は、この遺骨は第三者の手を経ずに直接薮中団長に提供されたもので、本人のものに間違いないということで持ってきたわけですが、しかしこれが幸いにも別人のものだとの鑑定ができたからよかったものの、そうでなければ、「これはもう夫が持ってきたもので間違いないものだ。しかし、科学的には鑑定できなかったものである」。そして、 同時に提供されました写真を示して、「こんな不安そうな顔をしている中学生をわが国が立派な大人に育てて、車も使えるような身分にもなったんだけれども、本人が体が弱くて入院して自殺したんだ。もうこれ以上のものを出せないから納得してほしい」というようなことが言われれば、私たちだけでなくて、政府と
してもそれを反論する材料というのが全くなくて、結局それで納得されてしまう恐れもあったわけですが、しかし、別人のものと鑑定した結果、我々としましてはめぐみが生存している可能性が強いということを確信いたしました。
この12月の8日に別人のものと分かった時に、我々家族会、救う会は経済制裁の発動をお願いしたいというような声明を発表いたしました。そして、翌9日に拉致議連の総会が開かれまして、その席でも経済制裁をするしかない、ということが決議されております。また、私はその翌日の10日の自民党の拉致対策委員会、それからまた同じ日に開かれました衆議院の拉致特別委員会にも傍聴に参りましたが、いずれも制裁をすべきだ、という意見が決議されております。
しかし、小泉総理は、対話の窓口が閉ざされるということを理由に慎重な姿勢を崩しておりません。
そして、この段階ではめぐみのものだけだったわけですが、しかし、その後持ち帰った資料の精査をして、24日の日に家族に対しても説明がありましたし、同日、 細田官房長官が、「北朝鮮側が迅速かつ誠意ある対応をしない場合、日本政府として厳しい対応を取らざるをえない」という立場
を、制裁の予告ともとれる談話を発表いたしました。それから、日本政府は北朝鮮側に対して抗議をし、そして鑑定の説明はいつでも説明をするというふうに言っておりますが、北朝鮮側はそれを拒否して、鑑定は捏造であるとか遺骨を返せと言うような状態だというふうに説明を受けております。
それで、政府に対するお願いでございますが、やはり、もし北朝鮮側に何か異変が起きた場合、被害者がどこにいるかといった情報が必要になっておりますので、ぜひ情報収集に努めていただければと思います。情報収集というのは人脈づくり等ですぐにはできないとおっしゃっていましたが、しかし小泉総理の訪朝からはもう2年以上も経っておりますし、やはり一日も早く収集していただきたいと思います。それと、現在も拉致の専門幹事会といって各省庁の局長クラスの方が集まって横の連絡をとっていただいていますが、しかし、それぞれが情報をもっているというようなことだと思いますし、そういった方は通常はそれぞれの省庁の仕事をなさっておりますので、拉致のことだけをやっているというところは、部署はございませんので、一日も早くこの専門幹事会を拉致の対策本部というような形で常時拉致問題について対応がとれるようなシステムを作っていただければと思っております。 |
|
|
 |
| 全国各地で集会 |
|
<写真上>函館集会 平成17年(2005年)7月24日
<写真下>山口県民大集会 平成17年(2005年)11月27日
家族会の皆さんは全国各地の集会に出かけて拉致救出運動を訴え続けてきた。まさに北は北海道から南は九州・沖縄まで。家族会結成から約年の間に横田滋・早紀江代表夫妻が行った講演は1000回を超えた。各地に住む家族会の皆さんも都合をやり繰りして何十回も何百回も出かけている。家族会の皆さんの信念、人柄、ひたむきさなどが拉致救出国民運動をここまで盛り上げてきた。 |
|
|
 |
| <写真上>4か国の家族が結集して国際ワークショップ |
平成17年(2005年)12月22日
拉致は日本、韓国だけでなく広く東南アジア、中東、欧州で大規模に展開されていたことが明らかになってきた。家族会・救う会は韓国、タイ、レバノンの被害者家族を招聘し、日本の家族会とともに4か国家族によるワークショップを開催。
|
| <写真下>初の国民大集会関西大会も開催 |
平成17年(2005年)12月16日
政府が制裁を予告してから1年。初めて国民大集会関西大会を開催し、東京会場と同様「制裁発動で拉致被害者救出を!」と強く訴えた。 |
|
|
 |
<写真上>マカオ(中国)の拉致被害者家族と面会
平成18年(2006年)1月13日 |
<写真下>崔銀姫さんにマカオの家族を紹介
平成18年(2006年)3月18日
|
| 増元照明家族会事務局長と西岡力救う会常任副会長は、平成18年の新年早々、中国・マカオを訪問してマカオ人拉致被害者孔(ホン)レンインさんの父と弟に面会。その後3月、父と弟は韓国・ソウルを訪れ、家族会・救う会の紹介で、ご自身が北朝鮮に拉致されていた時孔さんと会ったことを証言した崔銀姫さんに面会し、孔さんに関する情報がほとんど一致したことから拉致を確信した。 |
|
|
|
|
 |
横田 早紀江さん
平成18年4月27日、米国下院議会で横田早紀江さんが証言を行い、多くの議員が「最も心を動かされた証言」と述べています。以下はその全文です。また、翌28日には、ブッシュ大統領と面会することができ、大統領は、「(拉致問題解決への)働き掛けを強めたい」と約束してくれました。
本日はこのような貴重な機会を与えてくださったリーチ委員長、スミス委員長をはじめとする米国議会の先生方に感謝いたします。私は、今から29年前1977年11月に13歳で北朝鮮に拉致された横田めぐみの母、横田早紀江でございます。
めぐみが中学校からの下校途中に行方不明になってから、どうしていなくなったのか分からない長い長い20年間の苦悩の日々を過ごしてまいりました。めぐみが北朝鮮の工作員によって拉致されたという情報が入ったのが、1997年のことでした。
私たちは、めぐみが生きていたのだ、すぐにでも会えるという思いで大変喜びました。けれども、北朝鮮にいると分かってから9年以上が過ぎたのに、まだ救出できません。なぜ、助けられないのか、口惜しくて、悲しくてたまりません。
金正日は、2002年9月の日朝首脳会談で、一転して13人だけの拉致を認めました。北朝鮮が拉致した日本人は13人どころではありませんが、彼らは、数多くの被害者について、いまだに拉致したことさえ認めていません。拉致の疑いがあるケースは450人以上あります。
娘「めぐみ」と、本日家族がこの席に来ています田口八重子さん、増元るみ子さん、市川修一さんら8人は、死亡と通告されましたが、「めぐみの骨」とされるものなど北朝鮮が8人の死亡の根拠として提供したものは、日本政府の精査の結果「すべて信じるに値しない」ものでした。
これは1年半前、偽遺骨と一緒に日本政府に提供された、拉致直後のめぐみの写真です。めぐみは歌の好きな明るい少女でした。この寂しそうな顔を見て、私は思わず写真をなでながら「めぐみちゃんこんなところにいたの。どれほど不安だったでしょう。まだ助けてあげられなくてごめんなさい」と話しかけました。
めぐみの娘、私たちの孫であるキム・ヘギョンさんの存在が明らかになり、今年4月にヘギョンさんの父親が「韓国の拉致被害者」キム・ヨンナムさんであることが、DNA鑑定で証明されました。ヨンナムさんは16歳、高校生で拉致されました。北朝鮮による拉致被害は、日本、韓国だけでなく、中国、タイ、レバノン、フランスなど12カ国に及んでいます。
亡命工作員の証言によると、娘は工作船の暗い船底に閉じ込められ「お母さん助けて。お母さん助けて」と壁をかきむしって、絶叫し続けて、暗い海を運ばれたといいます。
めぐみたちはまだ元気であちらにいるのです。本当にもう心身疲れ果てておりますけれども、子どもたちが助けを求めている間はどんなことがあっても倒れることができません。
子どもたちの失われた年月は取り戻せません。世界各国から拉致されたすべての被害者たちを助け出し、これからの人生を自由の地で過ごさせてやりたい。ひどい人権侵害に苦しんでいる北朝鮮の人々も助けなければなりません。
世界が心を合わせ「拉致は許せない。全被害者をすぐ返しなさい。それがないなら経済制裁を発動します」とはっきりと言っていただきたいのです。それが私たち家族の心からの願いでございます。
米国議会、政府、国民の皆様のお力添えをお願いいたします。ありがとうございました。
|
|
|
 |
横田滋さんのメッセージ
めぐみちゃん。お父さんです。暫く会わないうちに白髪が増えましたが、お母さんと共に元気に暮らしているのでご安心下さい。
私は銀行を定年退職して新潟を離れ、今は神奈川県の川崎に住んでいます。川崎は以前住んでいた鹿島寮から横浜方面に電車で10分位です。12階の部屋からは富士山がよく見えます。
拓也・哲也はそれぞれ結婚し、合わせて3人の男の子がおり、小学校・幼稚園に通っており可愛いですよ。キム・ヘギョンさんは只1人の女の孫で、テレビで見たら可愛らしく賢い子で早く会いたいです。
めぐみのことが漫画の本になり、大勢の人が読んでいます。また、めぐみが生まれてから13年間の写真展が新潟・横浜等で開かれ、10万人を超える人が見に来てくれました。
日本中の人が、めぐみちゃんが1日も早く帰ってくるのを待っています。帰ってくる日はそう遠くないと思っています。皆で一緒に暮らせる日が早く来るのを楽しみにしています。それ
まで健康に気をつけて過ごして下さい。
横田哲也さんのメッセージ
めぐみちゃん。弟の哲也です。37歳になってしまい、その姿を想像出来ないでしょう。今、韓国に来ていて、目と鼻の先にいながら救出することが出来ないで本当にゴメン。
元気にしていますか。北朝鮮に拉致されてから既に28年も経過してしまったけど、一度たりとも忘れたことは無いし、いつもめぐみちゃんのことを想っています。自由を奪われ辛い毎日だと想うけど、あともう少し辛抱して下さい。日本だけでなく世界各国が北朝鮮の非道ぶりを解決しようと動き始めているので、頑張って下さい。救出に全力を尽くすから。
両親はだいぶ歳をとってしまったけど、元気にしています。兄の拓也も救出に向けて一所懸命戦っているよ。めぐみちゃんの友達や多くの日本国民が帰国を心から待ち望んでいるから、とにかく健康だけには留意して過ごしてね。広島にいた時のように、また楽しく暖かい時間を家族で過ごそう。
この放送を聴いている北朝鮮のテロリスト達よ、拉致被害者に決して手を出すな!もし危害を加えるようなことをしたら、日本国民は決して容赦はしない。拉致被害者全員を無事に日本に帰すことが、あなた達が生き残る唯一の道だぞ。金正日体制が続くのもあと僅かだということを肝に銘じておいて欲しい。
増元照明さんのメッセージ
るみ姉!。
こう呼びかけるのは、今年2回目ですね、照明です。「しおかぜ」の放送は聴きましたか。るみ姉が拉致されてからもう、28年が過ぎてしまいます。この間、親父もお袋もるみ姉を探し続けて、ついに「北朝鮮」に連れて行かれたことを知るに及び、当初は貴方に危険の及ぶことを心配し、政府に任せていましたが、10年ほど前から一生懸命救出運動に身を投じてきました。なれない署名用紙を持っての署名集め、時には無視され時には罵声を浴びせられ、それでも諦めずに続けてきた成果が上がり、蓮池さんや地村さんたちが帰ってきました。祐木子さんから貴方のことを聞いて涙が出てしまいました。拉致当初はどんなに不安で怖かったかと思うと悔しくてなりません。そして、未だに助けてあげられないことが残念でなりません。親父は、祐木子さんたちが帰国された2日後にるみ姉に会いたいという思いを半ばに他界しました。死の直前、るみ姉に対してメッセージを残していますので、それを伝えます。「るみ子、父ちゃんはもうこんな状態だから迎えにはいけないけど、どこかそこら辺でマッチョってくれ!」最後まで親父はるみ姉の生存を信じて、救出したいと思いを持って他界しました。親父の思いを引き継いで俺もるみ姉に会えるまで、頑張るから。あきらめずに健康に気をつけて生き抜いてくれ。
北朝鮮の人民に告ぐ!
金正日の命令によって日本人を拉致したことは明らかになっている。貴方たちに罪はないことも充分承知している。しかし、今後「日本人拉致被害者」を傷つけたら、日本国民は貴方たちを許すことはない!。中国の実質支配を許す「金正日」を見限り、解放の日まで「日本人」を守り続けることが貴方たちの未来に繋がる。中国が頼りにならないことは貴方たちも知っているだろう。日本こそ、貴方たちの救世主だから!。「拉致被害者を返し、核を放棄したならば直ぐにでも世界は貴方たちを助けるだろう」。絶対に、傷つけるな!。
平野フミ子さんのメッセージ
増元るみ子さん、増元るみ子さん、るみ子 ── っ。
今、どこにいますか。
元気にしてますか。
体の具合はどうですか。
私達にはそれが何も分かりません。
でも元気でいることを信じているよ!!
貴女も大変な所へ連れて行かれてしまったねえ。
でも、今国際社会も北朝鮮による拉致を認識し始めました。
世界の心ある人達がるみ子達の救出に向けて少しずつ動いています。
だから、ガンバレ、キバレ、もう少しじゃっど!!
私達(日本)が必ず助け出すからね。
どんなことがあっても希望を持って生き抜いてね。
母ちゃんもるみ子の帰りを待ってるよ。
るみ子達を救出する為に一生懸命活動してくれてます。
鹿児島の桜島も、天文館も喜んで迎えてくれるよ!!
安心して帰って来てね。いつまでも、待ってるからね。
|
|
 |
| 横田滋さん、哲也さんが訪韓して金正男氏家族と面会 平成18年(2006年)5月16日 |
横田めぐみさんの子どもと確認されているキム・ヘギョンさんの父が、高校生の頃に拉致された韓国人金英男さんであることが、DNA鑑
定の結果明らかになった。めぐみさんの父横田滋さんと弟哲也さんは、金英男氏の母と姉にソウルで面会し、拉致被害者家族どうし辛い胸
の内を共感しあった。 |
|
|
|
<写真上>韓国の自由北朝鮮放送局で韓国拉致家族、脱北者らと面会
平成18年(2006年)5月15日 |
<写真下>日韓連帯東京集会 平成18年(2006年)5月27日
韓国には朝鮮戦争後約500人の拉致被害者がいるが、家族会はなかった。平成11年の第1回国民大集会に出席した韓国被害者家族は、帰国後、日本の運動を刺激として翌年2月に家族会(崔祐英会長)を結成した。また、朝鮮戦争中拉致された約8万3千人の家族が集まり、同年11月に家族協議会(李美一理事長)を結成した。これまで10回開催された国民大集会には毎回韓国からも家族代表らが参加。日本の家族会・救う会も訪韓を繰り返し、日韓家族会の連帯の絆は強固なものとなっている。 |
|
|
 |
| 「圧力なしでは解決しない!」国民大集会 |
平成18年(2006年)5月28日 |
| 10回目を数えた国民大集会。小泉首相の決断と、今年中に拉致被害者全員救出を求め、参加した政府関係者、政治家などが前回より一層厳しい対応を求めた。 |
|
| |
|
|
このホームページは「只今ホームページ」を無料でお借りしています。下記宣伝と当ホームページは一切かかわりはありません
 | TODAY | 1 | | YESTERDAY | 4 |
| | NINJA-TOOLS COUNTER |
|
|